虹路 KOMICHI [日中合作舞台芸術・映像作品]
12月 17

本日の稽古参加者は
瑛子、志保、まきまき、さとぽん、樹里、朝子、はるな&私ちよ。
途中からハッシー、たくぴー、えみりん、彩子、と大人数での稽古となりました。

まずプチミーティング!各自が集めた震災の資料を提出。
アップをしてから遊び、S2、S3を稽古。
S2はずいぶん見えてきた感じかな。それぞれが役を研究してきています。
S3はさとぽんと瑛子の息が合えばいけるはず!(笑)
休憩を挟んでダンス、歌練、そしてS2→S3を通して稽古しました。

新しく出来てきた「映画を作ろう」はすごく楽しくてテンション上がる曲!
みんながわくわくしてるのが伝わってきて、良いなと思いました。
チャイスタもラップ、面白く出来そうですね。カッコ良い。
ハッシーお疲れでした。

これからの課題は映像制作が出来る人と、中国語を教えてくれる人を探す事ですね。
みんな、12月が勝負だと思うので、頑張ろう!たぶん年明けたら忙しくて何が何だかわからなくなると思うわ☆

神野千代text by KAMINO CHIYO


12月 15

 もう最悪やぁ。。さっきこのブログに今日の稽古内容を書き込んだのに投稿寸前で全てがいきなり消えた!瑛子先輩の言ってたやつはこれか…みなさんも書き込むときは1時間以内に書くかコピー機能を使って保存しておくとかをしないと消えてしまうので要注意!
 ということでもっかい↓ 
 今日はアップ&ゲームをした後11月に上海で撮ってきてくれたビデオの鑑賞会。上海抗日戦争記念館での話は全て聞き取る事はできなかったけど、瑛子先輩達の解説で、中国の戦争に対する考えや姿勢をしることができた。中国人との稽古風景も見ていて自分達が行くんだという実感を持てたように思う。
 そしてミーティング。スタッフ確認、新しいスタッフとしてここに稽古内容を書き込む人を固定しようということで私彩子が報告係に。責任重大、頑張ります!それから稽古のビデオ記録とのちの映像関係中心となる映像班に朝子さん。 それにともない変更で、さとぽん先輩が音響。衣装&小道具が樹里とえみりんさん。あと会計のまきまき先輩は紙面になるものの整理もするということで会計ではなく制作に昇進。(?)
という感じ。あと確認したことは、
       ・16日に震災資料提出
       ・上演日が3月の234になった事の再確認
       ・18日に台本決定稿完成。(上演台本ではなく決定稿)
       ・昨日音楽班と演出班が話した音楽プランについて

 そして稽古。あたらしい配役でシーン2を作っていった。それぞれの役作りができていないため、いきあたりばったりその場その場で色々と試してみた、という感じだったがやっていくうちに場所の設定やそれぞれの関係、台本上での問題点なども見えてきた。(今日やった所の台本の問題点に関してはちよさんが把握していると思います。)芝居はこんな感じで作っていけるという自信みたいなもは少しずつみんなについてきている感じもする。でもやはり言葉の問題を早く解決しないといけないと今すごく思う。ミーティングでもその話が少し出たが、本当に中国語を話すならいまの稽古のままではいけない気がしてきた。早くはっきりさせたい。
 では次こそちゃんと投稿するぞ!あ、せや、金曜の稽古では新曲が聴けるってジーマ先輩が書いてたな♪♪楽しみだぁ♪

高木彩子text by TAKAGI AYAKO


12月 06

阪神淡路大震災では、華僑や留学生など48人の中国人が犠牲になったそうです。
http://www.nhk.or.jp/kobe/bangumi/news610/shinsai.html

China Online Magazines
第12号 1955年1月26日午後4時時点での中国人留学生および訪問学者地震犠牲者のリストです。
http://www.come.or.jp/hshy/j95/01c.html
第16号 当時の色々な情報です。  
http://www.come.or.jp/hshy/j95/02c.html
第36号 中国人留学生の遺族のための見舞金について 
http://www.come.or.jp/hshy/j95/06e.html

当時、神戸大学に留学していた中国人の韓 基一さんが、同じく神戸大学に留学しており、震災で犠牲になった友人の母志斌さんと当時の事について書いています。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/book/ryugakusei/jap/18.html

これからもっと調べていかなくてはいけませんが、とりあえず今日の稽古までに書き込みたかったので。舞台作っていく上で必要な情報を、みんなでわけあいましょう。 はるな

野田春菜text by NODA HARUNA


12月 01

新台本があの震災を題材にするということで、久しぶりに家にある関連の本を読みあさっています。

1995年、私は小学5年生。加古川にある私の家の被害は少し瓦が落ちた程度でした。その日も登校した学校では、一日中教室のテレビがつけられていました。どんどん増えていく死者・負傷者の発表の数に、大変なことが起こっていると感じていました。

私はその時、外国人や留学生のことまで頭が回りませんでした。炊き出しに言ったときも、外国人の方を見かけた覚えはありません。たまたま外国人の方が少ない地域だったのかも知れませんが。

震災の時、外国人・留学生のために、いろんな国の言葉で情報を流したのが始まりで、今も外国語専門のFM放送として続けられているのが FM COCOLO だそうです。
http://www.pref.osaka.jp/osaka-pref/kokusai/cocolo.html

新潟県中越地震でも同じような取り組みが開かれています。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou04/1108ke59610.html

はるな

野田春菜text by NODA HARUNA


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